「日本は“傘の家”で欧州は“壁の家”?家は命!」

■イラスト:湿気の籠もらない傘の家と壁の家(画:天野彰 )
前回お話の“傘の家”の文化は今一体何が変わったのでしょう?明治140余年、戦後のわずか65年の間に変わったことなど、気候風土を原点とする「徒然草」の本質に比べ。本来あるべき姿ではなかったことを、また、この梅雨から例年になく余りにも暑い季節が教えてくれるのです。
この十数年来アジアを除き、ヨーロッパやアメリカの経済はあいかわらず低迷したままで、ギリシャをはじめユーローの格差などさらにぎくしゃくし、加えてリーマンショックが追い討ちをかけています。
しかし欧州の街並みは相変わらず美しく豊かに見えるのです。が、実際の彼らの生活はと言うと、その見かけとは裏腹にあまり楽とはいえません。特に旧ソビエト崩壊後の東欧旧社会主義国家の生活は苦しいもので、依然としてインフレ状況が続いているのです。
そんな状態にもかかわらず、私たち日本の旅行者には彼らの暮らしは、豊かでよく見えます。いったいどうしたと言うのでしょう?その原因があの数世紀にもわたる伝統的で堅固な住まいと、綺麗に揃った街並みにあることです。
家の壁はレンガや石で積まれ分厚く重厚で、さらに南に下がって開放的なラテン系の国民の人柄や奔放な生き方や住まい方は変わっても、なぜかその家や街並みの様子はあまり変わらないのです。そして彼らがかつて開拓したもっと多湿な南方や、アメリカなどの新大陸に渡って築いた植民地時代の家や街並みも材料は木材になってもその形態はほぼ同じなのです。
その答えこそ彼らの長年に培われた“文化”で、彼らが長年に渡って築いてきた都市や家に暮らす本質的な文化のなせる技なのです。この“本質的な文化”とは、模倣されたそれとは違って、実はすべて必要に迫られたものばかりだったのです。
われわれがイメージする彼らの家は決して豪華で明るいものではなく、すべて城壁の中にあって侵略に備えた街と家の形はそこに住む住民の使命であり、また時の統治者の厳しい義務でもあったのです。地続きの大陸にあっていつ攻められ侵略されるか分からない城である街と、家は彼らにとっていわば「命」を守ることそのものなのです。
同時にヨーロッパの主要都市は比較的緯度の高いところに発展したものが多く厳冬で、分厚い「壁の家」でないと凍えて死しんでしまうのです。分厚い壁と小さな窓は即、「命」がテーマとも言えるのです。しかも次第に城壁が無くなったり、街が発展し城壁の中に住めなくなればさらに堅牢にわが家を造る必要もあったのです。

■写真:「命」がテーマと言える、ヨーロッパの分厚い壁と小さな窓の家(フリー素材)