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天野彰~同居を改めて考える(4)同居はわが身と国を救う?- 2 -
天野彰~同居を改めて考える(4)同居はわが身と国を救う?- 2 -
―同居は共同ではなく「親子“協働”住宅」がいい?―
前回、親世帯と子世帯が一緒に住む「二世帯住宅」はマンションなどと同じ単なる共同住宅に過ぎないと言いました。いや、もっと言えば近しい親子が同じ屋根の下に別々に区切られて住む家と言いました。
確かに「二世帯住宅」はこうして親子夫婦の1,2階に生活を別々に勝手に住むわが家が確立し、子側は子育てに干渉されることなく、親の方も自由な時間に食べて眠ることができてしかも互いを常に“見守れる”!まさしく「同居」の良さと勝手気ままの安心をプラスしたかのようなものです。
さあ、これを本格的な親子同居と言えるかです。同じ屋根の下にいれば親は子、すなわち孫たちを守り、子は親を見守ることができるはずなのですが・・・。実はこの「二世帯住宅」互いが仕切られていて負担のない安心の同居のはずなのですが、そのために試行錯誤が起こり意外に住みづらく、結局また離れて住むことになったり、無理をすれば離婚の原因となったり、挙句の果ては親子の訴訟にまで至ってしまうこともあると言う・・・。いったいどうしたと言うのでしょう?
答えは簡単です。“互いの顔が見えない”からです。毎日頻繁に顔を合わせて言葉を交わしていれば起こらない疑心暗鬼や思い違いが起こるのです。これが赤の他人であればあきらめ我慢もできることが、身内だけに我慢ができず、しかも親夫婦の片方が病に伏したり、亡くなったりでもすると、うっぷんを晴らす相手もなくついには爆発することも起こるのです。ここに至ってお互いがべったり同居をしておけばよかったと思うことしきりなのです。
同居とは、共に働く暮らし。いや、世代の違う親子夫婦が協力し合って働き、学びながら暮らすことに意味があるのです。現代の同居志向は地価の高騰やローン、さらには育児や介護などの合理的なニーズがまさり“共働き”はできても“協働の生活”ができないからです。
協働?実はこのことは今わが家だけの問題ではなく、そこに住む町、ひいては暮らしの知恵の文化やマナーなどが次世代に受け継がれて行かない日本社会全体の問題でもあるのです。
<イラスト:洞穴住宅からの家(家族)の原点(画:天野 彰)>
その伝統的な暮らしとは、白川郷の合掌造りの30年に一度の村人全員で屋根葺き替えをする「結」(ゆい=茅葺き屋根を村人皆で葺き替えたり、田植えを手伝う共同作業)のごとき村全体が助け合って暮らし行く姿。そう、皆の顔が見える同居の暮らしなのです。
<写真:300年も村人の結でもたらされた白川郷のわら葺き屋根全景と明善寺(写真:白川村役場)>
次回は「二世帯住宅」なのに顔が見える「二世帯“含み”住宅」?です。
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