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家づくりの方法 それでも人は家を建てる!
【1】日本の家は「傘」と「壁」と「箱」の混在した家
日本の家は元々が壁のない「傘の家」です。ここで家族が一体となり、しきたりやしつらえがあり、それが文化となっているのです。やがて欧米思想が進み「個」が重んじられ、家族が個室にバラバラとなって住む現代の「壁の家」となったのです。近代化、工業化に伴い規格パネルやべニヤ板の密閉された「箱の家」となっているのです。おかげで冬は暖かく、構造もしっかりとし、デザインも欧風やモダンなものなどいろいろ自由に選べ、おしゃれなアート作品ともなっているのです。皮肉にも、この「傘」と「壁」と「箱」の混沌さがまたも珍しく国際的にも受けている様相もあるのです。
湿気の多い日本の家は「通気」が大切
その本質は湿気の多いわが国では壁の家にはいろいろな弊害も起こります。壁に囲まれた箱の家は通気が悪く、腐蝕しやすく、せっかくの耐震構造もいざという時に役に立ちません。個室化に慣れない家族は閉鎖的となり、二世帯に分けられた同居住宅も崩壊を招きやすく、さらに高層の分譲住宅もその生活にいまだ慣れることなく、その所有権も危ぶまれます。
私が主張する本来の傘の家とは基本構造は骨太の木造軸組みで、臍(ほぞ)で留める柔軟な伝統的仕口組にして、床下や屋根裏、壁内の通気を心がけています。家族も極力一体化を目指すのです。
- 箱の家は基本構造などのメンテナンスや改修に苦労する
- 都市化が進み、密集して来るとそうも行きません。設備の配管や配線も複雑多岐となり、メンテナンスや改修に苦労することも多くなります。集合住宅となるとそうはいきません。主たる構造がコンクリートや鉄骨造で、直接内部仕上げが施され、その中に設備配管も埋め込まれています。寿命の短い設備の老朽化とともに、主要構造まで破損、腐蝕します。外装や内装の仕上げの老朽化でも大幅なリフォームや建て替えが必要となり、そこに分譲所有権の問題が浮上することになります。集合住宅の欠点は二方向の採光や通気しか取れないことや隣家や上下間の騒音や振動も伝わりやすいことです。
- 1,000年持つ和風集合住宅
- これらの問題を一挙解決、1,000年持つ和風集合住宅の提案もしました。題して「フレームコロニー」1981年の新耐震の法改正を受け提案したもので、1987年1月にはテレビ朝日系のニュース番組で全国に紹介されました。写真やイラストのとおり、設計の基本は住む家と支える構造と設備を完全に分離したもので、住ユニットは自動車同様、各メーカーが工場生産するもので、その規格化された不燃で外形寸法と接合アタッチメントさえあれば中古であり、 手づくりであり自由なもので、この「フレームの権利」さえあれば転勤や家族変化にも自由に対応できます。
結果、隣や上下間には空気層ができてトラブルもなく、さらに通気や採光もとれ、構造と設備が分離され、基本構造のメンテナンスがしやすくなることで、半永久的に持ちます。このフレームが全国に構築されれば、老いて“わが家と共に”自由に渡り歩くことも可能なのです。その番組のMCの美里美寿々さん(当時)が「夫婦が別れる時はユニットを半分持って行けますよねぇ」などと言っていたことが印象的でした。
- 私たちはいったいどこに住むか?
- ・家族とどう暮らすか?
- ・住まいや都市をどう持続させるか?
- ・名ばかりのコミュニティでは無くどう共存するか?です。
【2】間取りではなく場取り 壁に囲まれた閉鎖的な家から開かれた家へ
私たち日本人は心情に雨露をしのげればと言った「傘の家」の本音を持ちながら、気が付いたら汎用するベニヤ板やコンクリートの集合住宅の「壁の家」になっていました。住まいの中も、間仕切りも壁でしっかりと区画され、気密性も高く、冷暖房も良く効く快適な?家となって居ます。反面、家族は密閉され、個室化されます。家族はその間取りによって左右され、しかも高層住宅によってコミュニティが阻害され、夫婦や親子はおろか社会との関係も悪くなることさえあります。しかもそれらは老朽化し、区分所有と言うジレンマに束縛されているのです。
私はこうしたことから、住まいは開かれたものとして、それを極力閉鎖的にかつ固定されたものとせずにプランニングを心がけてきました。なぜなら人は育ち、やがて老い、家族もそれによって変わり、世間も大きく変わっていくと思うからです。なんてことはありません、それこそ古来日本の家の形であり、家族の本質だからです。
【3】場取りのプランニングで、自由に使用できる場を配置する
そのプランニングとは、「間」を取る「間取り」とは言わず、あえて家族がそれぞれ住む「場」として「場取り」と言っているのです。
住まいは家族 が一緒に暮らす所です。リビングやダイニング、寝室や子ども部屋など、決まった部屋の配置、それが間で取るのではなく、家族それぞれがいろいろなことをする場と考え、その場を配置するのです。家族がそれぞれが生活し、居る「場」で、自分の居場所や持ち物などを置く「場」であり、立場や存在を示す「場」なのです。これらを合わせて配置することが、「場」のプランニングであり、物理的な「間」取りではなく、生活の「場取り」なのです。
そして今求められるのは住まいの中の風通しの良さや、台所やトイレ、浴室など、住まいの主要設備は、人の体に例え、肝心(腎)要の重要な「所」と考えるのです。これこそ伽藍や屋敷を建てる際、その項目の縁起に注意を払いながら、「場」や「所」を配置してきました。それこそが「家相」なのです。拙著「建築家が考える『良い家相』の住まい」(講談社刊)の執筆時におおいに学び、その真意に驚き感銘を受けたものです。
【4】柔軟な住まいを作るのに重要な「間」と「場」の考え
建築のみならず「間取り」の「間」とは、部屋ではなく、もっと深い意味の事象で、空間・時間・人間の「間」であり、唄(うた)や舞(まい)囃子(はやし)などの調子の「間」でもありこれがすべての作品に潤いとリズムを与え、空あるいは無の間なのです。
「間」は夫婦の間、親子の間、外界との間、世間との間であり、柔軟な空間です。英語のSpace=「何もない空間」の方が、本来の「間」に近いのかも知れません。そんな不可解とも言える掴みどころのない「間」と「場」を家の形にすることこそこれからの変化にも柔軟に生きて行ける物となるのです。
【5】日本の古い住まいに家族の形を見る
家族とはその自由な「間」の中で接しながら、それぞれのしたいことをし、自然や外界とも接し、深い思想をさらに高めて来たのです。数奇屋造りや茶室はそんな思想の中から極め、生まれ育まれてきた和の文化です。昨今、各地で取りざたされている親子の問題、夫婦の問題、老人の問題、はいじめなど、肝心要の生きる問題のすべては、開放的な住まいから今の住まいの形「壁の住まい」が原因ではないかと思えてなりません。
写真は、家族が合掌の一つ屋根の中で、一つの炉に暖められて住む、白川郷の合掌造りの家です。遠く江戸時代の生活を今に残しているのです。今はライトアップされ、妙に見世物化された賑やかな郷となっているものの消灯後の観光客が去った後の山村にはかつての静けさが戻り100年以上も前と同じ空気を吸うことができ心が洗われます。その合掌の多層空間の中で、家族がそれぞれ「間」と「場」を重んじ暮らしていたことが伺われるのです。そこには統率されたルールがあり、「あるじ」の居場所を定め他の家族の場を決めているのです。「家相」はそのあるじの居場所から考えていたのです。そこが家の中心でもあり、象徴ともなるのです。それにより家族の求心力が生まれ、家族のそれぞれが自由に活躍できるのです。
家・公共の施設も同様に、人が自然と集まる場をつくる
私はそれを住まいづくりに限らず、病院にも、公的な施設にも国際的なコミュニティ施設でもこの設計手法を取り入れ、確たる結束の家としているのです。
模型写真は「青森市社会教育福祉センターの計画案(生田勉氏共同設計)」と「UIAウイーン国際会議場コンペ応募案(鈴木エドワード氏などと共同(1969年)です。前者は若者、婦人、青年さらには老人が敷地の四方から 寄って来て真ん中のホールに集まり、コミュニケーションが自然に“回転”する仕組みです。国連会議場の案は、世界の人々やあらゆる分野の人々の情報や知恵が回り込むようにやって来て、大きなコンベンションを回らせる。それこそ私が考えるベクトルでありモーメントでそれぞれのが“回る建物”と言えるのです。
【6】家は人の動きに順応した自由な空間
その後こうした公共建築の設計チャンスにはなかなか恵まれませんでしたが、私は多くの住宅設計で住まいづくりのプランニングの手法としているのです。その中で住む家族がそれぞれどう動くか、どんなドラマを展開するのかが大きな勉強と設計の楽しみとなりました。家は個室や部屋の集まりではなく、もっと自由なコーナーのような、あるいは懐(ふところ)のような自由空間によって構成され、人の心と動きが何よりも優先されるものだと確信したのです。
【7】家族の変化に合わせて柔軟に動く家
夏だったのか梅雨だったのか分からない夏が過ぎて台風一過、が、突然秋になっていたのです。家づくりは長い冬に備えて秋と言うイメージがあります。すべての動物の巣作りと言うイメージもあり、家も家族の「核」である夫婦が最優先なのですが・・・、その肝心の夫婦でさえ一つではなく、夫婦を形成する大きな要素の「夫」と「妻」の別々の力、すなわちベクトルと考えるのです。
単純に夫婦は一つ、家族も一つとなどと言うような安穏とした希望的気構えで家を考えるとプランづくりに大きな「歪」が生じます。今そんな家で夫婦の問題、さらには親と子の問題が取りざたされているのです。必ずの同居であったり、老いて夫婦二人の生活となるとさらに大きな歪となり、ついには崩壊することさえあるのです。なんとこれは地震より怖いことです。
まずはその核である「夫婦」の心と体の自由な動きの中でしも家が原因とは言えないのですが、実際に家の設計をしていますと何やらそんなことが原因?と思えるような事態にたびたび遭遇するのです。その最たる問題が親と子、互いの最大公約数を見つけ出すことです。なんてことはありません。今の家の間取りをちょっとリフォームするだけでも可能なことです。現代住宅の定型のプランではなく、あらゆる壁が柔軟に動く家を考えることです。可動間仕切り、あるいは可動家具で家族や夫婦の事象に合わせて自在にプランが動く家を考えるのです。
【8】夫婦を起点に家は形を変える
ただ単純に別々の部屋に分けるのではなく、夫婦の好みを優先して中仕切りのパーティション(ふすま)で、時に一体、時に別々の和洋寝室になるように、狭いスペースを伸縮したり区切ったりするのです。それによって夫と妻それぞれの力が初めてモーメントを持って回り出すのです。これは親と子、あるいは親夫婦と子夫婦も同じことなのです。
「家」はもともと「戸」で囲まれた「寝る戸」で「寝戸」、すなわち「いへ」なのです。住まいの原点は「夫婦の寝場所」なのです。そこで夫婦を中心とした家族が安心して休み、子どもたちは育って行き、さらに親たちの同居も自由にうまく回って行くのです。互いの「個」、ベクトルがそれぞれの役割を持って大きなモーメントとなるのです。
【9】家族でゲームのように「場」を決めることから始める
―方眼紙に家族を詰め込むのではなく、一人ひとりを包み込む柔軟性が必要。家を建てるとは何よりもその「あるじ」を第一義に考え、さらにはその核となる「夫婦」のそれぞれのベクトル(思い=方向と強さ=量)を優先し、活発なモーメントを“誘発”できることとお話しました。なんてことはありません。従来のように方眼紙の間取り中に家族を押し込むのではなく、家族それぞれを包む生物の細胞形成のような細胞膜のような家であると言うことなのです。それは極めて薄いもので更に柔軟なイメージなのです。
ますます難しくなったような気がしますが、そうではありません。各人の居る場所とその必要設備をバラバラのコマにして家族でゲームのように敷地の中に並べるのです。これを夫婦あるいは子どもたちと一緒にワイワイと楽しくやればいいのです。敷地からはみ出るかも知れませんがそんなことにかまわず何よりもそれぞれの「場」の配置を優先するのです。
こうして家のそれぞれの場の繋がりが議論され自分たちの動きが見えてくるのです。これこそが「動線」です。敷地の広さやロケーションを考え、そこから見えるもの外からの音や視線などを考え太陽や風などの自然を考え修正するのです。こうして二階あるいは立体的に配置を考え、そこに階段や玄関ができて行くのです。細胞が増殖していくような「生きた家」が生まれてくるのです。
【10】新築する敷地にテントを張って暮らしを体験すると見える日常も重要
さあ!この段階で家族で一緒に敷地に住んでみる?キャンプ湯にテントを張って住むのと同じです。ちょっと気恥ずかしい気もしますが、隣人にきちっと挨拶をして断って敷地に“住む”のです。すると周りの人々の生活、騒音、虫の音や遠くの電車の音や騒音など、朝には子どもたちの通学の声なども分かるのです。
これから何年も住む家です。家づくりは生涯に一度か二度しかない大事業です。世界に一つしかない家を目指すのです。これくらいの勇気と覚悟が必要なのです。
【11】その家に住む「夫婦」を優先にし考える家づくり
予算やそれぞれの家庭の事情も考え、家族の一人ひとりがそれぞれ年を取って行くと言う絶対的 事象と“時象”すなわち時の変化が難しく、かく言う私自身もいまだに100%満足したプランニングができていないのが申し訳なく、悲しくも実情なのです。
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