住宅関連記事・ノウハウ
玄関は家族の顔「明るい玄関には福が来る」
【1】日本の気候に適した、四季を楽しむ柔軟な家
節分福は明るい神聖な玄関からやってくるのです。今、日本の街の表情が大きく変わっています。どこも無機質でモルタルやアルミの様相となっているのです。一気に家の建てられ方や素材が変わり無表情で各家にはこの家と言う顔がないのです。
【2】湿気と熱気を逃がし地震をかわす=「軽くて柔軟」な構造の家
私たちの心のふるさとであったわが日本の家が今はないと改めて思うのです。どこにもあった豊かな感性のあの玄関さきの小さな庭もないのです。現代の高気密・高断熱で年中設備優先の家では思いもつかない内と外の住環境を感じられないのです。これこそがわが日本の生活文化と生活思想を表し、老若男女を問わず誰にとっても精神的安定をもたらしていたものなのです。これを今の街や住まいに実現しようとしても、残念ながらただの点景や模したものとしか思えないのです。幸いにもわが国には京都などにこうした文化が残されていて、そこに行きさえすれば心のふるさとに帰れるのです。
しかしいくら時代が変わり西洋化、近代化されようともわが国の家の形や思想は今も変わらぬ絶対的理由があり、夏を過ごす家であったのです。もともと分厚い壁もなく柱と屋根だけの家で、高床と深い庇にして雨露をしのぎ、湿気と熱気を逃がし、寒さには建具をたてる。まるで高下駄(げた)を履いた傘のような家は積極的に四季の折々を楽しめて、地震の揺れや強い風を柔軟にかわす軽くて柔軟な構造とも言えるのです。高床は下駄で、下駄と言えば55年前、建築学の学生だった筆者が竹芝桟橋からソ連船に乗って旧ソ連に渡る出航のとき、親友が「これ、持って行けッ!」と桟橋からデッキ投げ入れてくれた包みがこの下駄でした。寒いソ連内では履くこともなく邪魔なものだったのですが、その後欧州の貧乏旅行したとき、リュックにぶら下げて歩くとあちこちで珍しがられ話しかけられたのです。帰りがけ訪れたエジプト・カイロでは灼熱(しゃくねつ)の太陽の下、ボロ靴ではとても歩けず、思い切ってこの下駄を履きカランコロンと鳴らしながら街を歩いたのです。そして現地のラジオ出演と相なったのです。筆者は得意満面にこれが日本である!わが国の家のつくりようもこの下駄と同じ高床で、熱を防ぎ、風を通し暑さを凌ぎ、木の素材感で涼しく、高度な木組みの技で柔軟にしかも強固に造ってある!」と、これこそが日本の伝統文化であるなどと口から出まかせに喋りなぜか多くの人に共感を与えたのです。
今さらながら若気の至りと恥ずかしくもあり、自分自身も改めて日本の伝統を心に刻んだものです。下駄の錦古里良一君に心から感謝です。
【3】日本の玄関にはなぜ段差がある?
いくら高断熱高気密の家でグローバルな時代になっても家の中では裸足になる文化は遺伝子のごとく変わりようがないのです。そこには高いだけの品格と格式があり、いくらマンションのような平らな玄関にも上がり框(かまち)があり、埃や水の侵入を防いでいるのです。
本来この玄関とは小さいながらも迎える庭も大切で植栽を設え、表からドアの中の土間から框まで打ち水ができる神聖なものなのです。自分たちが住みながらもその「家」の語源に神や先祖が住む、ウ冠(屋根)に象(祀る)神様を祀る屋根ともされているのです。その神聖な玄関の横には雑多なものを見せない土間の納戸、現代のシューズクロゼットがあるのです。下駄箱はまさに集会場や塾など公共の場に置かれたものだったのです。
さて、門から玄関の見え方、ドアの設え、土間と上がり框と上り端すべてがその家のセンスを指し豪華さより「侘び」「寂」といった風情を感じることも示すのです。そんな玄関から福は入ってくると言うのです。
【4】家族の顔、こんな明るい玄関をつくるには?住宅の外観は、街並みに影響を与える重要な要素
玄関は家の顔で夫婦の顔、家族の顔である。今日のように建て主がいないままにできた分譲建て売り住宅や規格型の住まいはどれも同じ表情のデザインとなり、色調もサイディングベースのモノトーンとなり、街も無表情となってしまいます。そんな淡白な顔の家ばかりが街に溢れる時代ともなると。たまに個性を持った建て主は設計士にせっかくの家だからと、個性あふれる家にしようと頑張ってしまうのです。ところが、既に各メーカーや分譲住宅を担当する設計者は何千何万の顧客の平均パターンを持っていて、それ以上の形や色彩にはなりません。そこで少しでも目立とうと、つい奇抜な色彩やワンポイントの形でその戦い?に挑むことになります。気が付けば「デザインのためのデザイン」となって、そこに住む家族の本質や街の佇まいを異様な様相にしてしまうことさえあるのです。
かつて、わが師生田勉氏はこれを“美の暴君”と表現し、街はみんなのものであり、一度そこに建てば生涯影響を与え続け、さらに街を煩雑で汚くするものとなりうることを戒めたのでしょう。
【5】玄関と庇で美しく整う家の外観
こうしたことを注意して街の風景を考えながら夫婦家族の要望とを家の形に変えスケッチにして見せると「えっ?これが?」と、けげんな顔をされることも多いのですが、この“けげんな顔”、こそが、本当の「夫婦の家の顔」であることが多いのです。しかしこの客観的な観測によって生み出された「家の顔」こそが、家の中身と一体となった夫婦の顔でもあるのです。一見派手そうに見える奥様が実は光と影を楽しむ日本的な感性の持ち主だったり、反対に家のデザインに無関心だったご主人が、実はおおいに目立ちたがり屋であったりすることも多いのです。
こうして「夫婦の本当の顔」が見えると、家の外観やインテリアの“見せ場”がはっきりしてきます。洋風でモダンな外観でも落ち着いた和のイメージを持ち合わせたり、その外観よりもインテリアがさらにモダンであったりと、目鼻が整って、ハッとさせられるようなセンスの良い家となったりするのです。さんざん議論して決めた間取りも、いざ見積もりして予算が出ると「こんな広い家は無理!」などと情けないこともよくあるのです。それもまだ設計途中であればまだしも、建ってから「こんな広い家のはずじゃなかった」「目立ちすぎて家に入るのが恥ずかしい」はもっと悲劇的です。
実は長年家づくりのお手伝いをしていて確信が持てることは、家の外観のすべてや大小ではなく、わが家を主張し表現する方法はあるのです。それこそ端正な面立ちの美人の例えのように、口元と目鼻立ちです。口元は玄関であり、バランスの良い開口部の目と、玄関を優しく覆う鼻、庇なのです。
優しい目鼻立ちの中に微笑む口元・・・、福が舞い込むばかりか粋ですね。
【6】防犯対策は、まず客観的に自宅を見る目が重要
しかしその優しさの中にも隙があってはなりません。玄関は福以外に侵入者も来ます。最近わが国も治安が悪くなり、とても物騒になりました。空き巣や泥棒、もはや「戸締りにご注意」などといった生やさしいものではありません。ピッキングなどで簡単に鍵を開けられてしまい頑丈な鍵を2つも3つも掛けても、バールなどでドアや窓をこじ開けられてしまうこともあります。頑丈に鉄格子やシャッターなどで対処する方法もありますが、かえって日常生活が不都合となるのです。
そこでハードだけではなく、心理をも含めたソフトで対処するのです。そのためにあえて自分が泥棒の目になってみるのです。すると無防備で入りやすい家といかにも侵入しにくい家があることに気付くはずです。入られた側はとても腹が立つことですが、あとで冷静に考えてみると、見るからに他よりも入られやすい条件であったことが分かります。
その第一が「見通し」です。表の通りから陰となって見えない玄関や窓や、高いブロック塀の中に入られたら、あとは何でもできそうなのです。家のあちこちをどこからも見通し良くすることです。
その上で「警報」です。その一番が犬です。犬のいる家やその付近の家にわざわざ入る泥棒はいないのです。あの人感、熱感知フラッシュランプなどは夜間効果的なのですが、留守がちな家は警備会社との警報システムです。当初の設置予算と後のメンテナンス費がかかることと誤作動も多く、切ったままになることも多いのです。セキュリティは生活行動と自身の体調・不調通告などを含めたトータルサービスを確かめて設置することが安心です。
しかし、高齢化の時代、何よりも強い防犯装置は、向こう三軒両隣です。災害時の為にも、日ごろからの近隣とのコミニュケーションが何より安心です。
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