住宅関連記事・ノウハウ
住まいをおもしろく 今の家をもっと色っぽく?!
1 おもしろみのない家ではくつろげない!?
生きて行くために自粛の中、どうしても出かけなければならず恐る恐る外出し、街を歩く人も車内も職場も誰もが平生を保っているように見えるのですが、わが家に帰ってマスクを外してみると、なぜかどっと疲れが出て例えようのない疲労感と不安感にかられると言う。しかしそのホッとした瞬間もつかの間で、今度は家族にその様相を見せてはならないとさらに張り詰めた姿勢で暮らさなければならない。せめて家の中だけは気を許してわれに返りたいものです。
しかし残念ながらその住む家のつくりや間取りはそのようになってはいず。もっと言えばなんとも住みにくく、息苦しささえ感じ、気が付けば呆然と白い壁を見つめている自分がいることに気付くと言う。こうして改めてわが家を見つめるといかに面白みのない家かとうんざりしている人も多いと言う。なるほどたとえ新築で小ぎれいで設備など機能的でも、なぜかおもしろくないのです。
その空間は壁と天井に囲まれ変化もなく、遊びごころもなく飽きてしまうのです。その割に間取りに無駄が多く風通しも悪く余計な機能や飾りが目立ちかえって煩わしいと言う。結局のところ住む人や家族の生活や目線で空間ができていないと思うようになるのです。それほどにこの自粛生活は住まいに対する思いや期待が変わって来ているのではないでしょうか。
<お馴染み「熊さん八ッつぁん」の江戸の裏長屋(画:天野彰)>
今の家をもっとおもしろく、も少し色っぽくしては?!
“愛の巣”であるはずの家は色気もなく面白みもないのも困ります。メーカーや建築家などの設計者は生真面目なのか狭小住宅だからか?ローコストのためか?遊び心もなく面白げもないのです。そう色気がないのです。かつて私たちの家には大工さんや左官、庭師が醸し出す風情、そう色気や遊びがあったものです。海外の建築家仲間と話す時によく「日本の住まいや街さらには文学や絵画に見る風情はなぜか艶っぽい。なのに、今の家は型どおりで空虚で空しい!」とまで言われることが多いのです。なるほど彼らには歌麿や広重そして国芳国貞にみる江戸の風情の浮世絵などからわが国の風情は色っぽく奥の深い演出や精神を読み取っているのでしょう。
それは街や住まいに限らず生活そのものに粋な遊びがあって芸術文学、武芸にまで美を追及し、それが生活文化となってきたのです。それが明治、昭和となだれ込むように入って来た西欧の近代化と合理化の波に押し流されそして今、“すっきり”何もない工業製品らしい家と付け足しのインテリアで生活までもが主流となっているのです。なるほど色気がないのです。
その工業化のためにベニヤ板の箱のような家とスレート版の壁のような駅舎や街となってしまったのかも知れません。今継承されるべきは、神社仏閣などの古典建築ではなく、とりわけ住まいに異文化をバランスよく取り入れてきた庶民生活の歴史こそが日本の文化で、その原点が『熊さん八ッぁん』の暮らしにあり、その風俗を醸し出してきた絵師や物書き、歌舞伎役者たちに学び、その精神を今の家に取り込むのです。
<色っぽい和の佇まい(画:天野彰)>
そこには男と女、親と子、兄や弟さらには愛と義理人情のすべてが醸成され、文化や技術のすべてこの思想に基づいて、今や世界共有の宮崎駿アニメやポケモン、スーパーマリオへと通じているのです。それは欧米のモダニズムやインテリアなどの模倣のぎこちなさや軽薄さとは違うのです。
このせっかくの自粛時間を2LDKと呼ばれる“箱”に押し込まれてすべてを費やしてはいけません。ここであえて「桧の家」に代表される日本の家、さらには木舞壁や漆喰の左官、そして木組の素材感は日本の誰の心の奥底にあり、自然と住む人、子育てその原点の夫婦、男と女がそれぞれ見直され、健康と美、そしてその色気が醸し出されるのだと、私はコンクリートの壁に向かって独り言を言いながら悦にいっているのです。
<桧の板一枚の「床の間」その後ろに手塗りの漆喰の壁(画:天野彰)>
あ、今からでもDIYショップや材木店に行って、桧か杉板を1枚、葦簀の簾や漆喰壁の材料を少量購入して、わが家の部屋の片隅に自前の「床の間」をつくると不思議にたったそれだけで今までの部屋の様相ががらりと変わり、部屋のにおいもドラマも変わるのです。そこに科学的な芳香剤も化繊のカーテンも必要ないのです。
2 面白お風呂「お湯が一番!」さらには今の間取りをタンスで変える
2LDKの部屋のコーナーに杉板一枚を置いてみたらさっそく多くの方がそれを試されたようで、「一気に部屋の雰囲気が変わった」とか「家族が掛け軸を持って来てその壁に掛けた」さらには「部屋が広くなった?」などで、なかでも驚くべきは「最近亡くした家族の写真を掲げて花を添えた」などのご意見に感動しました。
わが国は狭さを楽しむ「四畳半文化」の思想?
「四畳半」とは、方丈記で知られるあの一丈四方の方丈庵の人間的な空間が連想されます。狭い四畳半の真ん中に卓袱台(ちゃぶだい)や炬燵(こたつ)がひとつ置かれます。これがまたなんともバランスがよいものでしっくり空間に馴染むのです。ここに家族4人が座れば楽しいだんらんの茶の間となり、「おひとついかが?」などとくれば、なんとも色っぽい空間となって「四畳半文学」が生まれるのです。わが国にはこのような“狭さの妙”を追求する奥深い空間哲学があり、茶の湯の高い精神性を育み、無駄に広い空間をあえて疎む感性もあるようです。秋の夜長とくればなんと言ってもお風呂です。紅葉の中の露天風呂など、粋で贅沢なお湯の楽しみなど、どなたも心の奥底に忍ばせている夢のようです。
その風呂が家の中にできたのはほんの最近のことで、それも鉄釜の底の五右衛門風呂で外から薪で沸かすものでした。やがてそれがガス釜となり、今様のバランス釜や湯沸かし器の登場となるのです。実にたった半世紀ほどの出来事です。私自身田舎の生家で家の外の風呂場で、寒風吹きすさぶ中薪で沸かし、カンテラ(灯油ランタン)の灯かりを頼りに湯に浸かった覚えがあります。しかし『熊さん八ッぁん』の江戸の庶民の家には風呂など到底なく銭湯が一般的で、その銭湯の歴史は落語や浮世絵の風物詩のネタとなっているのです。
風呂敷文化は銭湯文化が生んだわが国のエコ文化
その銭湯へ着替えを包んで持って行き、それを脱衣場に広げて敷いてそこで脱衣をした「風呂敷」は折りたたみが出来て、綺麗なパッケージとマットの兼用の重宝なもので、まさしくわが国のエコ思想は「風呂敷文化」であると私は勝手に銘打っていて、海洋汚染が進む今日、風呂敷こそ使い捨てレジ袋や不要なパッケージを無くす旗がしらです。その包みや結びも日本の驚くべき知恵の文化となっているのです。しかもただ物を「包む」だけではなく物や人の付き合いや「結」も大切にし、深いエコ意識と、包むことは穢れ(けがれ)から守る作法ともなり、袱紗(ふくさ)で丁寧に包むことは、相手を大切にする尊敬と謙譲の念を示しているのです。
<トルコパムッカレの遺跡の中の温泉:コリント式の大理石の柱などが転がっていて今でも使われている(撮影:天野彰)>
銭湯や温泉は古今東西、人類の大きな愉しみで、古代ローマにも公衆浴場や露天風呂の古い歴史があるのです。漫画や映画でヒットした、あの阿部寛演ずる「テルマエ・ロマエ」の設計士がローマ時代の浴場と、現代のわが国の銭湯をタイムスリップして繋ぐ古代ローマとの東西入浴文化です。古代ローマの浴場もわが国の銭湯もただ湯に浸かり清めるだけではなく、そこで怪我や疾患の湯治もし、さらに人々と交流するコミュニティーの場でもあったのです。
私自身お風呂大好き人間で、秘湯や良い温泉旅館を探し、出張などで泊まるビジネスホテルも、かけ流しの温泉や露天風呂のあるところを選びます。温泉の湯は沸かし風呂と違って、重くじっくりと体の芯から温めて冷めにくく、腰痛や神経の痛みにも効くのです。まさしく温泉を湯治場と言う所以なのです。コロナ禍の秋の夜長こそ、「浅酌低唱」ならぬ「銭湯低唱」で、鼻歌まじりでゆっくりとお湯に浸かって、心と体を休めたいものです。
3 家族で楽しむ大きくて開放的なお風呂
湿気大国日本は風呂文化?ならもっと大々的に!
住まいこそバスライフで、まずは快適で安心、楽しくしかも色っぽく浴室から家中に響く子どもたちの声は、わが家族の平和の象徴です。その子どもたちが育って出て行きしばらく忘れたころ、今度は狭い2LDKのユニットバスから孫たちが来て、はしゃいで新たなバスライフが戻って来ます。湯けむりの中で響く独特の音と湯上りの匂いは懐かしく、子育てで忙しかったころは気も付かなかった大きな癒しとなっていることを改めて知るのです。 その入浴スタイルこそがわが国の文化とも言えるのです。
わが家にはドイツやメキシコさらにはトルコなど多くの交換学生がホームステイに来ます。彼らにバスタブに浸かってリラックスするよう勧めるのですが、その誰もがシャワーだけ浴びて浴槽には入らないのです。もともと乾燥して水もあまり豊富ではない国柄のせいか?その習慣がないのでしょう。それに比べて私たちが欧州などに行くと豪華なホテルでもそのインテリアに比べ湯船が浅くまるでシャワーパンのように浅いことに驚き、そこにお湯を溜めて、まるで“トド”のように身体をくねらせながらこちょこちょと洗っている姿は滑稽で悲しくなるのです。その時こそ溢れんばかりのお湯にどっぷり浸かって、頭からザバ-とお湯を浴びるわが家に帰りたくなるものです。
改めて私たち日本人は湿度が高い気候ながら、その代わり水に恵まれ、まさにバススタイルにおいて贅沢な国民ではないかと思うのです。
確かに古今東西、お湯につかってリラックスするのは最高のリラクゼーションで、かつてのローマ時代のカラカラ浴場をはじめ、現代では豪華ホテルのスパでも、ジャクジーバスが至福の贅沢となっているのです。まさにそれこそが裕福な生活の象徴となっているのです。
ウイズ・コロナ時代こそわが家を開放的なスパに!
その風呂が “湿気大国”日本の誇りある文化なら、もっと堂々と住まい全体をバスライフの豪華「スパ」にしてしまうのはどうでしょう?家に帰るやいなやシューズクロゼットで外出着などをすべて脱ぎ去り、そこで部屋着に変えてそのままリビングやダイニングで過ごし、さらにガウンを脱ぎ去りお湯にザブン!ウイズ・コロナ時代の清潔なライフスタイルと言えましょう。
すでに一人暮らしの人たちは家に帰るなり玄関でパッと裸になり、風呂もトイレも開放してそんな生活しているはずです。私自身、出張などでホテルに帰るなり裸になって開放的な過ごし方をしているのです。
それこそがわが家と言うものです。家族が居る限り、ガウンなどは纏うものの家族とは本来はそんな“裸の生活”のはずです。これは今の2LDKでもすぐにできることなのです。
壁で仕切られた洗面や脱衣室や浴室、トイレの壁さえもすべてを取り去り、ガラス張りなどにして一つの広いサロンにするのです。そこにキッチンカウンターや食卓、家族のベッドを置くと言うシンプルな発想です。なんと今までの2LDKがこれほど広いものか!と驚くはずです。
そしてバス周りは脱衣の仕切りを透明にして開放的に、中庭と一体の月見ができる露天風呂さらに“一点豪華”に御影石張りや芳香漂う檜(ひのき)張りとしても良いのです。
<写真:トイレ洗面浴室を御影石でつくる(世田谷I氏邸 設計:天野彰)>
そのサロンにトレーニングマシンを置いたり、エクササイズをしたりなど、元気に、そして開放的で色っぽく!ウイズ・コロナ時代を暮らすのです。
4 わが家のスナック
すべての間仕切りを取り払ってわが家をスパのサロンのようにつくりかえましょう。浴室以外のすべての間仕切りを取り払って広いワンルームのようにするとは言え所詮2LDKや3LDK、そこに家族のベッドと台所や食卓を設けなければなりません。都市の住まいはとにかく狭いのです。
都市の住まいは狭い!だから狭“楽”しく住む!
2LDKや3LDKはもともと狭いから何をやってもダメだとあきらめてはいけません。そんな狭い住まいの悩みは何かを?根本から探るのです。するとほとんどが玄関に入ってすぐDKとなり、キッチンが丸見えとなることが多いのです。住まいをすっきりしようとするためにはまずこの台所を常に片づけ、物をしまわなければなりません。これは調理好きの人は狭苦しさのみならずむさ苦しく料理をするのも楽しくありません。そのせいか子どもたちも夫も同僚や仲間を家に連れてくることがありません。
そこで間口が一間(1.8m)あるか無いかの狭い「街のスナック」を思い出してみるのです。玄関ドアを開けたら目の前にカウンターがあり、側面の棚にはグラスやボトルなどが綺麗に並べてあります。そのカウンターの椅子に多くの客がカラオケを歌ったり、ママさんと楽しそうに飲んでいるのです。この「街のスナック」に比べたらわが家の方がはるかに広いはずです。このスナックを見習ってキッチンと食卓を「わが家のスナック」にしてしまうのです。ママさんは奥さんです。客は子どもたちでありご主人です。時には彼らの友だちや同僚も。そのカウンターの腰掛けは8脚も10脚入れられます。
いわゆる「対面式キッチン」なのですが、食卓に物を出すのも片付けるのも楽になり家族との話も進み。カウンターの内側にはキッチンのシンクやレンジがあり、バックには食器棚や冷蔵庫を埋め込まれます。これでカウンターの外側からは内側のシンクなどが見えず、玄関からの視界もすっきり広くなります。イラストのようにカウンターを延長してテーブルを取り付けて家族が取り囲めるようにすればダイニングテーブルとなり、コンロや鉄板を真ん中に仕込めば炉端焼きやステーキハウスのようにもなるのです。
キッチンの移動は排水と換気が重要!
マンションでのリフォームでこうしたキッチンの移動には、排水と排気が重要です。レンジの移動は動かない換気扇の位置からダクト(煙道)を多少横引きすることで可能で、電磁調理のIHレンジなどにすれば湯気の排気だけで済み、大型のフードでも排気できます。シンクの移動は給水管やガス管は簡単できますが排水が問題です。排水は水が自然に流れる勾配(こうばい=傾き)が必要で、1/50つまり50センチの距離ごとに1センチ以上の高さが必要です。元の排水口からその範囲内なら移動が可能です。
そのために床をまたぐにはその高さ分をキッチンの床を上げなければなりません。床の段差は危険ですから。キッチンの元の排水口までキッチンの下かカウンターの下の壁の中で配管できる位置を探すことがコツです。
このカウンターキッチンをどちらかの壁際につくればサロンはすっきり広くなり、玄関に向ければ、あの「街のスナック」でいきなり「いらっしゃい」となるのです。夫も子どもたちも友だちを連れて気軽に立ち寄りたくなるのです。子育てが終わってからもこのキッチンは、こうして“外に向かって”赤提灯か暖簾の店?になるほどです。
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