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天野彰~同居を改めて考える「二世帯住宅」はどうなった?
【1】 二世帯住宅は住みやすいか?
今の家を減築して老後の生活を小さくして、空いたスペースや土地に子ども夫婦を住まわせるか家を建てさせる。そんな広さのある家は多いのです。減築は今の家の間取りを整理し縮めるリフォームです。その縮めることに意義があるのです。かつて二世帯住宅なる同居の家づくりの現場で連呼されましたが、最近はあまり言われることがないのです。確かに一時はハウスメーカーの売り文句のように囃されたのです。最近は「同居」と言う言葉さえあまり言われなくなりました。いったいどうしたと言うのでしょう?
答えは簡単です。二世帯住宅を建てた人たちからあまり評判が良くなかったからです。一、二階上下にきっちり分けて外階段で住めば勝手気ままな同居ができるなどと言う、極めて安易なコンセプトのものだったからです。そのため親子間にもめ事が絶えず、ついには訴訟にまで発展することも多いのです。当然その支払いやクレームでメーカーも困り果てたのです。そもそも親子の同居を親の安心、老後不安の解消、子の側は土地を手に入れなくとも親の土地に家が建てられ費用もかからないなどと言う極めて合理的な思想の上に立ちそれを売りにしていたことに問題があったのです。しかし、高齢化社会が言われ始め同居、二世帯住宅ブームに乗じて、メーカーはじめ住宅供給者は大いなる繁栄をしたこともまた事実なのです。これは多世帯住宅やアパート併用住宅、林立するマンションなどの分譲の家づくりにも大きな影響を与えたのです。
親子が一緒に住むこと、共同で住むことの意義と姿勢を持つことを醸成することなく、売り込み、建てるだけ建てたハウスメーカーやデベロッパーに大いなる責任が問われることになるのです。住む側も親子共々が一緒に住むこと、同居の意義と責任を考えることだと思うのです。そうです。同居は日本の住まいのカタチ。家族の原点で、日本の文化でもあるのです。
分譲マンションついても、共同の住まいを分譲で売ること、区分所有法自体にも疑問を感じるのです。一体その権利と所有とは何かを根本から考えることです。まずは。親子が共同で住む「同居」について考えてみましょう。
【2】同居の意味と責任は?
親子が仲睦まじく住んでいる光景は本当に和やかで気持ちのいいものです。サザエさん一家にしても読売新聞連載漫画のコボちゃんにしてもその日常がいかに日本的な風情と安心感をもたらすのか?その原因はわが国大家族の大きな文化なのかも知れませんが、その同居の文化を壊してしまったのは、他ならぬハウスメーカーや工務店、さらには私ども建築家をはじめ、住宅金融公庫などの金融機関や行政、政府もただならぬ責任があると思うのです。
それこそ今までの同居の住まいのメリット、三世代同居から二世帯住宅なる合理的手法などを売り文句にして大きな家、安心の家を売る商魂に他ならないのかも知れません。事実、これで多大な利益を上げたハウスメーカーも多いのです。果たしてこの二世帯住宅の登場によって真の意味でのおじいちゃん・おばあちゃん文化は消滅し、ジイジとバアバの名称のみとなったのです。一緒に住む祖父母で無くなり孫でも無くなったのです。同じ屋根の下で、同じ敷地を使って一緒に建てるが、勝手気ままに住む親子二世帯住宅となったのです。言わば、不特定多数の人が住む小規模集合住宅マンションとなったのです。
なるほど親子互いにも都合がいい。外階段で、玄関も別々。生活も邪魔にされず孫も時々会えるが、普段は子育ての責任もない。しかし一世代離れた母親の文化も、二世代離れた祖父母の生きた歴史や味の日常も継承されない。勝手気ままが先行し、共同で住む思いやりも気づかいも心遣いも醸成されることもなく、万が一意見を言えば、近い割にうるさい“他人”となっていたのです。ならば無理をして同居などせず、離れた所に別々に住む方が経済的にも心理的にも頼らず、子の側も親の側も独立心と生きる覚悟ができる。しかし少子高齢化が進み、老いの暮らしと子育ての不自由で少し状況が変わって来たのです。
【3】同居は少子高齢化社会を救えるか?
親世帯と子世帯が一緒に住む住宅は単なる共同住宅です。特に二世帯住宅が世に出回って以来、親子二世帯が同じ屋根の下に住むマンションのようにクールな同居が多くなったようです。親子家族が同することとはいったい何かを考える必要があるのではないでしょうか。そもそも三世代の違った家族が住むことは、一世代離れた父母の文化も、二世代離れた祖父母の生きた歴史や、日常の生活姿勢や味も継承されることです。さらに共同で住む思いやりや気づかい、心遣いも醸成されるはずです。
何よりも子育てでは親子二組の両親、祖父母の目があり、子どもの安心があり、高齢両親にとっては孫子2世代のサポートが得られ身も心も安らぎ、先々も心強いのです。農耕民族の家族ではこうした同居、大家族は当たり前のことで、今も日本人の心の奥底に親子の絆が息づいているのです。二世帯住宅の大罪はこうした家族の本質的な絆を断ち切ったのかも知れません。同じ敷地、同じ屋根の下でも1,2階をきっちり仕切って外階段を付ければ別家族。ここには気遣いも干渉も起こりません。なるほど親の土地を使って、別棟よりも屋根も基礎も兼用できて建設費が割安で経済的で、合理的な住まいだったはずです。
同時に親子互いの思い過ごしや疑心暗鬼が生まれていたのです。それこそ子育てと老後の生活を、互いが負担に思い始めたのです。べったり一緒に暮らしていれば気になることではないことが、近くで他人のような日常生活は音はすれども姿が見えず。たまにあってもあいさつ程度の付き合いになるのです。これも親が若くて元気なうちはよいが、どちらか一方具合が悪くなったり、亡くなったりでもすると状況は変わります。やはり一緒に住んでいれば子育ても親の世話も家族として当たり前になっていることが、突如義務感のような、勤めのような感覚となり、慣れていないだけに遠慮し、かえってワザとらしく、ぎこちなくなり負担になってしまうのです。こんな状況で、万が一愚痴や意見を言えば、まさに近い割にうるさい“他人”となってしまうのです。かえって遠くに離れたところに暮らしていた方が互いが諦め、過度な期待も起こらないのかも知れません。
ならば同居はしない方がいいのか?こうした二世帯がいいのか?確かに親子夫婦双方が毎日顔を突き合わせ暮すのも鬱陶しい。しかし同居の良さもある。そこで私は、親子家族2世帯が壁で仕切られるのではなく、親・子・孫の三世代が住む、親夫婦と子夫婦が住む家と考えました。なんだ?同居と同じことではないか?と思われそうですが、親夫婦の生活と子夫婦の生活を優先し、なおかつ仕切らずに住むのです。家の中で親と子をできるだけ離し遠ざけることです。狭い家の中では無理のようですが、寝室はもちろんのこと、互いのLDKを小さくとも二つ作るのです。するとイラストのマトリックスや断面のように互いのゾーンが独立し、LDKがその干渉帯のようになるのです。
子どもの部屋は子夫婦のさらに奥、親からできるだけ遠くになるように配置に心がけることです。同居で一番問題となるのは、子育てで孫すなわち子が親に干渉され、子が親に依存することにならないようにするのです。親が叱っているときに可哀想でついかばってしまうなどが問題となるのです。こうして親子夫婦の生活を確立し、子側は子育てに干渉されることなく、かつ互いを常に見守れる、「同居」の良さと安心をプランにするのです。さあ、これで本格的な同居ができ、親は子すなわち孫を守り、子は親も見守ることができるのです。この負担のない安心の同居家庭が世に“蔓延”すれば少子高齢化は少しでも救えるのではないでしょうか。
【4】同居は共同ではなく親子協働住宅がいい
孫たちを守り、子は親を見守ることができるはずなのですが。実はこの二世帯住宅互いが仕切られていて負担のない安心の同居のはずなのですが、そのために試行錯誤が起こり意外に住みづらく、結局また離れて住むことになったり、無理をすれば離婚の原因となったり、挙句の果ては親子の訴訟にまで至ってしまうこともあると言う。いったいどうしたと言うのでしょう?
答えは簡単です。互いの顔が見えないからです。毎日頻繁に顔を合わせて言葉を交わしていれば起こらない疑心暗鬼や思い違いが起こるのです。これが赤の他人であればあきらめ我慢もできることが、身内だけに我慢ができず、しかも親夫婦の片方が病に伏したり、亡くなったりでもすると、うっぷんを晴らす相手もなくついには爆発することも起こるのです。ここに至ってお互いがべったり同居をしておけばよかったと思うことしきりなのです。同居とは、共に働く暮らし。いや、世代の違う親子夫婦が協力し合って働き、学びながら暮らすことに意味があるのです。現代の同居志向は地価の高騰やローン、育児や介護などの合理的なニーズがまさり“共働き”はできても協働の生活ができないからです。協働。実はこのことは今わが家だけの問題ではなく、そこに住む町、ひいては暮らしの知恵の文化やマナーなどが次世代に受け継がれて行かない日本社会全体の問題でもあるのです。
その伝統的な暮らしとは、白川郷の合掌造りの30年に一度の村人全員で屋根葺き替えをする「結」(ゆい=茅葺き屋根を村人皆で葺き替えたり、田植えを手伝う共同作業)のごとき村全体が助け合って暮らし行く姿。そう、皆の顔が見える同居の暮らしなのです。
【5】同居は子育てに最適二世帯含み住宅が住みやすい
同居のメリットとは何かを改めて考えてみます。その最適プランとは何か?娘夫婦と住むのはべったり同居がいい。息子すなわち、嫁と住むのは分けて“勝手気まま”の二世帯住宅で住んだ方がいい」が定説でした。そこで二世帯住宅が爆発的に売れたのですが、実際に住んでみるとなんと、娘同居こそあえて二世帯にして分けた方がよく。反対に息子夫婦の方こそべったり同居した方がなにかと住みやすいことが分かるのです。
なぜなら娘夫婦の同居は母娘が親子だけに互いが気がねなく住める半面、かえって互いが甘え過ぎ、さらに娘の夫、すなわち婿が疎外されて住みにくくなることと、次第に環境が変わり意見が分かれ、そこに父と婿を巻き込むことになるのです。その反対に息子夫婦とは義母と嫁なので、互いに遠慮もありぎこちないようだが、毎日顔を合わせているうちに次第に慣れて、性格も理解しながら二人の他人が力を合わせて行けるのです。この姿が父親や息子も安堵し、家族全体が住みやすくなるのです。これが最初から分かれて1,2階で住んでいると、他人感覚となり、近すぎるだけに住みにくくなるのです。
こんなことから、私は子世帯方に娘さん夫婦はあえてきっちりと分かれた二世帯住宅に!反対に息子世帯とはべったりの同居が良い!と提案するのです。それでも不安の残る家族には二世帯含み住宅を提案しているのです。その仕組み、いや、仕掛けとは、両世帯の階段を中からも外からも使える階段とし、その階段にマジックドアなるドアを設けるのです。親子1,2階に分かれていても。玄関も別々になっていても両世帯中でつながっていてべったり同居なのです。しかし孫の友だちが集まりうるさいときや、婿の友人や家族が訪問するときなどはドアを閉めて別の家にするのです。これは息子世帯が転勤などで居なくなる時はドアを締めカギを掛け人に貸すことも可能なのです。
写真のように母息子夫婦、娘夫婦の三世帯住宅の例。息子夫婦とはべったり一体同居の二世帯含み住宅そして娘とはベランダで区切られた、しっかり別棟離れの同居住宅。こうして互いの夫婦のプライパシ―も守られながらも親子孫三代の生の伝承がされ、いざとなったら子どもの世話や知恵の指導もできるのです。これでさらにもう一子、二子も可能となるのです。もちろん両親の体調急変にも安心となるのです。
なるほど真の同居は少子高齢化社会を救う一助となり、わが身わが国家をも救うことになるのかも知れません。
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