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2026年3月15日(日)
改めて狭楽しさと「日本住改善委員会」の発足
はじめに
いよいよ春爛漫の候となり心うきうきと思いきや、受験や決算や移動など期替わりで忙しく、国会も次年度予算の強硬審議即採決と、さらにはイランへの突然の攻撃で、内外共に不穏な情勢となり、とても春うららとならないものです。
イラン情勢でホルムズ海峡封鎖の危機と言えば、古い話ですが、今日の住まい行政の原点と思われる経緯のエピソードと思われる「日本住改善委員会」の発足と経緯をお話ししたいと思います。
1970年の大阪万博後のオイルショックに苦しむ
「コンニチワー♪」で華々しく始まって、想定以上の賑わいを見せた大阪万博が終わり、1964年の東京オリンピック以来の好況の中で1973年突如訪れた第1次オイルショック、さらに1978年の第2次オイルショックと、原油価格高騰により経済が冷え込み、人々は家やビルを建てるのをやめ、建築不況に陥ったのです。
筆者は幸い大阪万博で「生活産業館」などのプロデュースやその運営などさらに味噌・醤油工場設計などと忙しく、1976年には自宅も建てられたのですが突然のオイルショックには驚いたのです。オリンピック以来の浮かれ気味であったところへの急変に若手建築家たちはおおいに苦しんだのです。この不況感は大きなショックとなり、突然自宅やビルや設備投資を控え、設計の仕事など無くなりました。
筆者の事務所でも手伝ったことがある鈴木エドワードや高 俊民(こう しゅんみん)もハーバード大学院を修了後、丹下健三都市建築設計事務所を経て、それぞれ1977年に独立し、1987年に建築研究所を設立したばかりで困窮していました。
劣悪マンション改造がきっかけで日本住改善委員会を設立
筆者の事務所も先行き不安を持ち、たまたまマンションの改造をしていた時にあまりにも劣悪プランや設備の不備に驚き、こうした改造の設計をしようと考えチラシコピーをスタッフと近所のマンションに配布したのです。
今で言う“投げ込み”をしたのですが、そんなことで容易に改造(今で言うリフォーム)を依頼する人など居ようはずもなかったのです。そこで困窮していた鈴木エドワード、高 俊民、さらに大藤 照光(だいとう てるみつ)や構造設計の林正憲らも加わり、筆者の事務所アトリエ4Aのスタッフと一緒にこうした劣悪マンションの改善のアンケート調査をしようと集まったのです。
そこで権威のありそうな名前を、と「日本住改善委員会」なる組織とし、「若手建築家です。ぜひ御教えください。今のマンションのどこが不便で、どこを直したいですか?」などと、調査と言うよりまるで誘導尋問のようなアンケートを行ったのでした。
家族に会ったプランに改造!リフォームの創始
筆者と共に、高度経済成長期の「ただ建てる」建築から住まいの質の向上や家族に会ったプランなどを提案、コストもリーズナブルなものとしてプレゼンをしたのです。
おかげで多くの設計依頼も増え、仲間の各設計事務所も施工担当の工務店も息を吹き返したのです。そんな体験から筆者は「狭楽しく住む法」(新声社)などと言う本を出版する栄誉を得て、取材も多くなり、新聞雑誌に掲載され、さらに多くの改造設計の依頼が多くなったのです。日本住改善委員会は建築家集団として、生活者の視点に立った住まいづくりや改善をする会として社会に定着し、通産省など行政機関とも連携し、今日のリフォームの創始ともなったようです。
「住み手の生活の質」の向上、住まい相談
高度経済成長期の「ただ建てる」建築から、「住み手の生活の質」を重視する生活に密着した住まいづくりや、既存住宅の適切な改善を支援することを目的とし、住まいに関する相談窓口の運営(東京都渋谷区松濤に所在)をしている。さらに発展して「住まいと建築の健康と安全を考える会(住・建・康の会)」1998年創設となり。鈴木エドワードなど建築家とサンスター技研 イナックスなど各健康材料メーカーと住まいの健康道場『家ッグ』(卵の家)ショウルーム(2005年)を渋谷に開設運営することになるのです。
このお話はまたのちに。次回はおもしろく、「狭楽し法」について改めてお話ししたいと思います。

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